震災を乗り越えるということ

昨日、次女のお習字教室事始め。
4時半に行って帰ってきたのが7時半過ぎ。作品が乾いた頃に引き取りに行くというので8時過ぎにお教室へ。年始のご挨拶もかね私も一緒にいきました。
昼間、先生からの年賀状が届いたことを話すとそこから今の状況を先生が話し始めました。

先生のお宅は石巻沿岸にあります。先生のお宅の前は津波でさらわれ何も無いそうです。先生のお宅は一階が浸水しましたが、がれきが積もって津波の威力が落ちて何とか壊れずに済んだそうです。
でも、津波はただの海水ではなく、黒く重く通ったあとは本当に大変な傷跡になったそうです。
だから家の中は津波に一階天井部分まで襲われたので真っ黒。
でも、世界各国のボランティアの方々に助けられ、今は何とか住めるようになったそうです。でも、庭先まで来たがれきの山はあまりに多過ぎていまだに積まれたままだそうです。
当時、必死の思いで自宅へ向かい、家族と再会して、現状に言葉を無くし、できることを捜し、あっという間に年末を迎えたそうです。

「今を感謝して生活している」
「今以上は望まない」
「一つできたらそれ以上は望まない」
「受けた傷を忘れず、活かすことを考えている」

先生はこう言われたあと…

震災後、たくさんの自衛隊やボランティアの方々に救われた。住めないと諦めかけた土地にもまた住めている。でも、それは震災の恐怖が日本中世界中に伝わり「何とかしなくては!」「何かしなくては!」という心が一気にこの地に集中してくれたおかげ。
でも、その思いも時が進むにつれしだいに薄れて行くだろう。これが現実。結局は自分たちががんばらなくてはいけなくなる。
仮設住宅に2年いる間に何がどのくらい良い方向へ進むのか。もとに戻ることはありえない。すべてリセットしなくてはいけない。これは本当に辛いこと。失った物が大き過ぎて。
昨年は支えられ何とか毎日を乗り越えてこられたが、これからが精神的に大変だと思う。
現実は厳しい。
自分の家の前に立つと、逃げられない現実と向き合わねばならず…ついつい酒の量が増えちゃうんだよね。
でも、俺なんかこうやってお習字教室で食べて行けるから幸せだよ。

と顔をクシャクシャにして言っておられました。

「震災を乗り越えること」の途方も無い難しさ。
まだあれから10ヶ月しかたっていない。
何をどうしていくことが大切なのか…本当に厳しい現実だけが残っていることを思い知らされました。
by hahamego | 2012-01-07 09:00

手枷足枷で我が道をなかなか行けないショボイ母の日々のため息的ひとりごと。

by hahamego
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