遠い記憶

昨日、母方の伯母を見送りました。
元気な伯母達の中で上から三番目、80才でした。
優しくきれいな伯母でした。
伯父のお話では、いつも通り透析を受け、いつも通り夕食を一緒に食べ、いつも通り一休みと床に入ったそうです。でも、いつもなら気にならない伯父は、何となく伯母の元へ。すると、すでに呼吸は止まっていたそうです。眠るように旅立って行ってしまったそうです。

遺影の中の伯母は、優しい笑顔で、どこか母に似ていました。

さて、母達の年齢となると、このような集まりとなると代理の参列が多くなります。
今回は、伯母達は高齢、体調不良で欠席、全員代理のいとこ達。
中には何十年ぶりかで再会したいとこもおり、時間が経つにつれ懐かしい思い出話で花が咲き、終いには、
「きっと伯母もこのにぎやかな様子、笑って見ていてくれているよ。」
で納める程に。

母は12人兄弟ですから、最初と最後の年の差は20才くらい。
一番上の伯父は私から見れば祖父同様でした。
母の実家は昔、旅館を営んでおりました。
人が集まる催しのときは、旅館の大広間が子ども達(いとこたち)の遊び場に。大抵、一人につき2〜3人いとこがおりましたから、最低でも2ダースはいました。
何百枚もある座布団の山に飛び込んだり、その座布団で座布団投げをしたりと大騒ぎ。
度を越すとバチッっと襖が開いて仁王立ちの伯父が、
「こらー!何やってんだ〜!!!」
とカミナリが。
みんな
「○○伯父って怒ると怖かったよね〜」
と思い出しました。

それから頭の話、出来が悪いとか良いとかの話ではありません」
母方は昔々は髪の毛ふさふさの家系だったそうです。ところが何代か前に強烈なヘアレス遺伝を持つ養子をもらい、そこからは男子の未来は皆さん輝かしくなったそうです。
ですから、昨日のような集まりがあると男性諸君は後ろ姿がそっくり。
頭の形に違いはあってもだいたい同じヘアレススタイル。

私たち女系いとこで子どもが男の子は、皆、この恐ろしい遺伝子の話を息子達に伝え、何も知らなかった息子達は衝撃をうけます。そして息子達はその日か、ら来る恐怖の現実を何とかしようと模索するそうです。
ちなみに我が家は娘二人ですが、こそから先についてもやはり責任はもてません。
強い遺伝子は残ろうとして続くらしいですから。

なぜ、この話になったかというと、いとこ男性諸君は、久しぶりにあった相手の姿をみて、進行具合が気になっていたらしく、意外にこのことが話題にでたものですから、女性陣も心置きなく話題に。

これまたにぎやかになってしまいました。


思い出せば、本当にいろいろありました。
あつまれば遠い記憶も昨日のようです。

こんな機会を作ってくれた伯母さま、ありがとう。
どうか、ゆっくりお休みくださいね。
by hahamego | 2011-07-14 12:29

手枷足枷で我が道をなかなか行けないショボイ母の日々のため息的ひとりごと。

by hahamego
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