菅さん、さようなら。

今日は、朝から父と母のことで区役所へ。
父が溜め込んでいた未処理の書類を発見し、半日覚悟で区役所行脚。
介護保険の窓口で隣の席の男性が、
「母が今回の震災で亡くなったので…」
と話す声が聞こえ、思わず手を止めるということがありました。
区役所の中は震災の手続きをする人たちでとても混んでいました。
でも、意外に早く終える事ができました。

役所を出ると市民広場で市をやっていたので、ちょっと買い物し、次女の塾によって、さて帰ろうとしたところで、マンションで一緒に町内会の役をした方とバッタリ。
いろいろ立ち話をしていました。
しばらくして、
「そう言えば、一緒に役員していた菅さん、残念だったね。」
と突然。
「エッ?もしかして津波で?」

菅さんは、ご主人のご両親をみるため、相馬市にある松川浦へ引っ越して行かれました。
次女とはお習字仲間。とても書がお上手で、展覧会にも出展されていました。
受賞することも度々で、よくお土産をいただいたものです。
お引っ越しの際は、お部屋から大きな竹の竿が2本でてきて次女とびっくり。
作品を押さえる文鎮として使っていたと教えてもらいました。

お引っ越しされてから菅さんの住んでいた部屋の前を通ったら、雄勝硯の原石が玄関に忘れられていました。
次女と
「あれれ、菅さんの忘れ物だね。」
と通る度にここに菅さんが住んでいた事を思い出させてくれていました。

何でも興味があって、率先してトライしていたパワフル菅さん。
とってもおしゃれな菅さん。
でも、ちょっとボーッとしていることもあり、役員仲間を苦笑させてくれることもありました。

地震の後、松川浦の港近くに住んでいた菅さんのことをちらっと思う事があっても、まさか津波の犠牲になっていらしたなんて思いもしませんでした。

菅さん、
楽しい思いでをありがとうございました。
菅さん、
相馬の空を書にして、好きな字をいっぱい書いて下さいね。
菅さん、
  さようなら。



      すごく悲しい。
by hahamego | 2011-05-31 16:05

手枷足枷で我が道をなかなか行けないショボイ母の日々のため息的ひとりごと。

by hahamego
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